【YoneTalk】日本とロシア 国際交流の歩み

米原

本日は貴重なお時間ありがとうございます。
会長は、ロシアだけではなくカナダや中国とも交流を続けていると
お伺いしています。
どのような経緯で、交流をがはじまったのでしょうか。

土屋

カナダとは、千葉市がノースバンクーバー市と姉妹都市となり
交換留学がはじまり、ホームステイを受け入れたことがきっかけとなります。
また、昭和61年には、同じく千葉市が中国、天津市と友好都市となったことを
きっかけに交流がはじまりました。

米原

そうなんですね。色々な縁があり交流が広がっているのですね。
そういえば、会長は船橋市ともご縁があるとお聞きしていますが。

土屋

船橋市とは、新設の「夏見ひまわり幼稚園」で園長を勤めさせていただきましたことが
きっかけて、ご縁がつながりました。
船橋市に行くと、当時のことを鮮明に思い出します。

米原

小学校、高校と音楽の指導をされていたことはお聞きしていましたが、
幼稚園の園長もされていたのですね。
わが町、船橋市で会長が子どもたちを教えていたことにご縁と誇りを感じます。

ロシアとの交流について

米原

ロシアとは、どのような縁で交流をすることになったのですか。

土屋

平成15年、元宇宙飛行士、テレシコワさんとの出会い、彼女の話に心を打たれたことが
ロシアとの交流のきっかけとなります。

米原

宇宙がきっかけとは、さすが土屋会長ですね。
スケールが大きすぎます。
日本・ロシア協会とはどういった協会なのでしょか。

土屋

日本とロシア連邦の間の人・文化・学術・経済的交流を通じて、
両国の友好親善・経済協力関係の促進をはかることを目的として1965年に設立された協会です。
会長は高村正彦 自民党副総裁が勤めています。

米原

大変長い歴史のある協会なのですね。
日本とロシアは、太平洋戦争末期のソ連対日宣戦布告。
また、それに尾を引く北方領土の問題。今でも一部禍根を残すと言わざる負えない状況ではないでしょうか。
北方四島の返還は北海道民はもとより、日本人にとっても悲願です。
ロシアと友好的な解決の方法はないのでしょうか。

土屋

おっしゃる通り、我が国固有の領土である択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる
北方四島の早期返還は国民の長年の悲願であります。
けれどもロシアにも事情がある。日本としては一刻も早く正常な状態に戻したいけれども
外交はそれぞれの事情を踏まえて、落としとどころをみつけていかないといけません。
そして何より、日々の友好関係を築くことにより、交渉の下地ができ話を進めることができます。
日ロ協会は、そういった両国間の信頼を築くためにも日々活動をしております。

米原

外交は一筋縄ではいきません。日々の活動は何よりも大切ですね。
ロシアは、中国、韓国、北朝鮮、台湾などと同じ日本の隣国です。
最短距離だけでいったら、宗谷岬からサハリンまでは直線距離にして43kmだそうです。
日本から一番近い国、ロシア。
その隣国ロシアとの平和が維持できなくては、国民は安心して生活を送ることができません。
いち早い、領土問題の平和的な解決が必要ですね。

土屋

そうですね。日本の隣国であるのに、中国や韓国などの他の隣国と比べる
日本人の関心があまり高くない。親近感が薄いと感じることがあります。
まずは、ロシアという隣国を国民が知っていただき、交流を深めることが
今ある問題を前進させるためには大事です。

米原

何かをはじめるには、「きっかけ」が大事ですね。
つい先日、第3回目となる「新春日ロ交流のつどい」をされたそうですね。
こういった草の根の交流が広がれば、ロシア人の日本人に対する考えも変わり
領土問題が前進する可能性が高くなるのではないでしょうか。

土屋

そうなんです。まずは、知ること。
私たち日ロ協会は、日本の恒久の平和、隣国との良好な関係を維持・発展させていくことが、
何より大切だと考えています。
今後も更なる交流の発展のため、日本の国益のためにも活動を続けてまいります。

米原

本日は、貴重なお話ありがとうございました。
ロシアが日本にとって、今よりももっと身近な存在になるようになったら素晴らしいですね。
私も、今後とも研究を重ね国際交流についても積極的に活動をしてまいります。


土屋 津以子

  つちや    ついこ 

日本ロシア協会 副会長 千葉日本ロシア協会 会長

ゲストプロフィール

国際交流ソサエティ千葉代表など多くの団体にて活動
半世紀にわたり国際交流や教育活動に尽力しアルベルト・シュバイツァー賞を受賞。
船橋市内の保育園運営にも深く関わる。
                          ※記載の経歴・内容は対談当時のものとなります

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